東京地方裁判所八王子支部 昭和50年(ワ)664号 判決 1982年4月30日
原告 鈴木正雄
原告 鈴木スミ子
右両名訴訟代理人弁護士 石川良雄
被告 佐藤タミヱ
右訴訟代理人弁護士 高田利廣
同 小海正勝
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(原告)
1 被告は原告らに対し、各金一、一二一万八、六七一円及び各内金一、〇五〇万八、六七一円に対する昭和五〇年七月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言
(被告)
主文と同旨の判決
第二当事者の主張
(原告の請求の原因)
一 当事者の地位
1 原告両名は亡鈴木富雄(以下「富雄」という。)の実父母であり、富雄は昭和四五年九月二五日原告両名の長男として出生した。
2 被告は肩書住所において佐藤内科小児科医院を経営し医療業務を行っている医師である。
二 医療事故の発生
1 原告らは、昭和四八年五月二一日、被告に対し富雄の診療を求め、諸検査による病状の医学的解明とこれに対する適切な治療行為をすることを依頼し、原告らと被告との間に富雄の診療を目的とする準委任契約が成立した。
2 同年五月二一日、富雄は被告から、咽頭の発赤、腫脹を伴う急性気管支炎、腺窩性アンギーナ、嘔吐発作と診断され、以後毎日通院して抗生物質、鎮咳剤、解熱剤等の投薬(注射等)による治療を受けていた。
3 ところが、富雄は、同月二五日腎疾患の症候の一つである眼瞼部周辺に浮腫が発生し、翌二六日には眼瞼部の浮腫が左眼が見えないほどに増強し、かつ、頭痛を訴え、手足に痙攣症状(痺れ)が発現したので、同日午後被告の診察を受け、原告らは富雄の右症状を訴えたところ、被告は子供だから眼をこすれば腫れることもあるなどと言ってこれを聞き入れず、富雄の足を木槌様の器具で叩いてみただけで、検温、血圧測定、尿検査、血液検査等の臨床検査を全く実施しようとしなかった。
4 同月二七日、被告は休診日(日曜日)であった。しかし、富雄の容態が朝から思わしくなかったので、松田医院で松田三樹雄医師(以下「松田医師」という。)の診察を受け、その際、松田医師が富雄から尿を少量採取し尿検査をした結果、急性腎臓炎と診断され、原告らは松田医師から被告と相談し入院措置をとるように指示された。富雄は松田医院から帰宅後安静にしていたが、同日正午頃容態が更に悪化し再び松田医師の治療を受けたけれども、富雄は同日午後〇時一五分急性腎臓炎(急性糸球体腎炎)による尿毒症により急死した。
三 被告の責任
1 被告は、前記診療契約に基づき、善良な管理者の注意をもって、医師としての専門的知識、経験を基礎とし、その当時の一般的医療水準に照らし理学的臨床検査等により富雄の症状につき的確な診断を下し、それに対する最も適切な治療行為をすべき債務を負っている。
2 被告は、次のとおり、右診療契約に基づく債務の本旨に従った履行を怠った。
(一) 富雄は、前記のとおり、五月二一日の初診時に咽頭の発赤、腫脹を伴う急性気管支炎、腺窩性アンギーナ、嘔吐発作と診断され、抗生物質、解熱剤、鎮咳剤等の投薬による治療を受けていたが、同月二五日には富雄の眼瞼周辺部に浮腫が発症し、翌二六日には眼瞼周辺部の浮腫が増強し左眼が見えなくなったほか、頭痛、手足の痙攣(痺れ)等の症状を呈するに至ったのである。
(二) 富雄の死亡原因である急性糸球体腎炎は、腎臓皮質にある糸球体に、細菌やウイルスの感染による抗原に対する抗体が抗原、抗体複合物として沈着することによる炎症と考えられており、アンギーナ(口峡炎、急性扁桃腺炎等)などのβ溶血性連鎖状球菌(とりわけA群一二型)による上気道感染症が先行して発症するものとされ、腎臓疾患の一般的症候としては、(1)蛋白尿(これは溶解性の蛋白質が尿中に出現するもので、尿中にテステープ(試薬のついた紙片)を入れその変化を測定するだけで容易に尿蛋白の有無程度が判定しうる。)、(2)尿円柱(これは蛋白質の凝固したもので正常な尿中にはみられず、顕微鏡検査により容易に発見できる。)、(3)浮腫(主に顔面、眼瞼周辺部に顕著に発症し他の疾患との鑑別は容易である。)、(4)尿毒症(尿量が減少して尿成分が血液内に蓄積しておこる中毒症状で尿量の減少から予測が可能である。)、(5)循環器系の変化(血圧の亢進、心肥大等の変化)などが発現するとされている。
(三) 被告は内科、小児科の専門医であり、前記の腎臓疾患の一般的症候や急性糸球体腎炎の発生機序について当然承知している筈であり、富雄が咽頭の発赤、腫脹を伴う上気道感染である腺窩性アンギーナの症状にあったのだから、被告は医師として初診時から腎臓炎の併発の危険を予知し、尿検査等により腎臓疾患の症候の発現に配慮し、もし腎臓疾患が発症した場合これを早期に発見してその治療を施すべき注意義務があった。そして同月二五日から翌二六日にかけて、富雄の眼瞼の周辺部に浮腫が発現し左目が見えなくなったほか、頭痛、手足の痺れ等の症状が認められたのであるから、急性糸球体腎炎の発症を疑い直ちに尿検査を行って急性糸球体腎炎を確診したうえそれに対する治療を早急に行うべきであった。
そのことは、被告の診療録にも「要検尿」と記載されており、被告も尿検査の必要を認めていたのであるから、被告が尿検査等の臨床検査を実施してさえいれば急性糸球体腎炎またはその疑いを早期に発見し適切な治療行為をすることができた筈である。
しかるに、被告は右浮腫は手でこすったことによる単なる腫れであると速断するなど腎臓炎併発の危険性を全く等閑視し、尿検査等の臨床検査を懈怠したため急性糸球体腎炎又はその疑いの発見ができなかったのであるから、これは被告の債務不履行というほかはない。
このように、被告は診療契約の本旨に従った適切な診療行為をなすべき義務を履行しなかったのであるから、富雄の死亡によって蒙った富雄及び原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。
四 損害
原告らは、本件医療事故により次の損害を被った。
1 富雄の損害 金一、五七六万七、三四二円
(一) 逸失利益 金一、二七六万七、三四二円
(1) 就労可能年数 一八歳から六七歳までの五〇年間
(2) 養育費 一八歳まで一か月一万円
(3) 就労後の生活費 五割
(4) 収入 年額金一六二万四、二〇〇円(賃金センサス昭和四八年第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者平均給与額一か月金一〇万七、二〇〇円、年間賞与その他の特別給与額金三三万七、八〇〇円)
(5) 中間利息控除 ホフマン方式計算係数一七・三四四
{64年(67年-3年)に対応する係数28.32466755,15年(18年-3年)に対応する係数10.98083524,28.32466755-10.98083524=17.3438231}
(6) 計算
1,624,200円×0.5×17.344-10,000円×12×10.981=12,767,342円
右により、富雄の逸失利益は金一、二七六万七、三四二円である。
(二) 慰藉料 金三〇〇万円
(三) 原告らは富雄の実父母として右損害額の二分の一、各金七八八万三、六七一円ずつ相続した。
2 原告らの損害 各金三三三万五、〇〇〇円
(一) 慰藉料 各金二五〇万円
(二) 葬祭費 各金一二万五、〇〇〇円
(三) 弁護士費用 各金七一万円
原告らは本件事案の内容等に鑑み、本件訴訟を維持追行するため石川良雄弁護士に委任し、判決があった時にそれぞれ金七一万円の報酬を支払う旨約した。
五 よって、原告らは被告に対し、各金一、一二一万八、六七一円及び弁護士費用を除いた各内金一、〇五〇万八、六七一円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五〇年七月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
(被告の答弁と反論)
一 請求原因事実の認否
1 一の項は認める。
2 二の1から4までの項のうち、原告が昭和四八年五月二一日被告に対し富雄の診療を依頼し、被告が富雄を診察した結果急性気管支炎、腺窩性アンギーナと診断し、同日から同月二六日まで(二四日を除く)抗生物質、解熱剤、鎮咳剤等を投薬(注射等)したこと、富雄は同月二七日被告医院が休診日であったので松田医師の診療を受け、自宅で安静にしていたが同日急死したことは認める。その余は争う。
3 三の項は争う。
4 四の項のうち、原告らと富雄の身分関係は認める。その余は争う。
二 被告の反論
1 原告らと被告の間には直接の私法上の診療契約は成立していない。
すなわち、本件診療は保険者訴外羽村町、被保険者富雄とする国民健康保険法に基づく公法上の保険給付であるから保険給付の債務者は被告ではなく保険者たる羽村町であり、被告は保険者の行う保険給付の履行補助者にすぎない。従って、右保険給付上債務不履行がある場合その責を負うべき者は右保険給付の債務者である保険者羽村町でなければならない。
2 被告の診療行為には原告が主張するような債務不履行は存しない。
被告の診療経過は次のとおりである。
富雄は、被告にかかりつけの患者で、日頃から青白くやや虚弱体質、投薬は内服では容易にのまない幼児であった。
被告は、昭和四八年五月二一日、富雄を外来で診療した。その際は、体温三九度二分、咽頭発赤、腫脹、白斑、咳嗽、咳嗽のとき嘔吐あり、胸部ラッセル音(+)、呼吸音粗、心音正、食思不振、麻疹(-)、水痘(-)であった。被告は検尿しようと考え採尿を求めたがいやがって採尿できなかった。しかし、浮腫は全く認められなかった。急性気管支炎、腺窩性アンギーナ、嘔吐発作の病名で、カネンドマイシン(抗生物質)、プリンペラン(制吐剤)、三五%メチロン(解熱剤)を注射し、内服薬フエナセチン(解熱剤)、アミノピリン(解熱剤)、コデイン散(鎮咳)、坐薬バリオメール(解熱)二日分を投薬した。
五月二二日、往診。富雄の体温三九度、熱性痙攣(診察時おさまっていた。その後発症をみたことはない。)咳嗽、嘔吐あり、呼吸数増加、脈搏一二〇であったので、カネンドマイシン、ビタカンファー(強心剤)、プリンペラン、二五%メチロンを各注射し、坐薬バリオメールを与え、とくに安静に注意するよう指示した。
五月二三日、体温三九度―三八度。便秘あり、食思不振、左側頸部リンパ腺が腫脹し一見して判る程度で圧痛があった。被告は浣腸を施し、カネンドマイシン、二五%メチロンを注射し、坐薬バリオメールを投薬した。
五月二四日、来院なし。
五月二五日午前九時三〇分頃診察。体温三八度五分―三七度五分、左頸部リンパ腫脹やや軽減してきたが、なお圧痛はであったので、カネンドマイシン、二五%メチロン、ビタカンファーを注射し、坐薬バリオメールを投薬した。午後五時診察。体温三七度九分、午前と同じ注射をし、内服薬フエナセチン、アミノピリンを与えた。
五月二六日午後二時頃、外来で診療した。体温三七度九分、頸部リンパ腺腫脹大いに軽減し、圧痛も(±)で、保護者から、昨夜はおにぎりなども食べたときいた。やや快方に向った感があった。左眼瞼縁にやや腫脹は認められたがこすったためと思われたが、右眼瞼には腫脹は認められなかった。顔面、体、下腿には浮腫は全く認められず、原告鈴木スミ子の言によると、尿量も普通という。処置として、前日同様の注射をし、坐薬バリオメールを投薬した。
五月二七日(日曜日)午前一一時頃原告鈴木スミ子から松田医師の診察を受けたところ腎臓が腫れているから被告と相談し入院するように指示された旨の電話があったので、同日午後四時頃富雄を診察するため原告方へ電話したところ、富雄の祖母から松田医院で二本注射して帰宅後間もなくして死亡した旨告げられた。
以上のように、被告は五月二一日の診察時に前記症状により急性気管支炎、腺窩性アンギーナと診断し、同月二二日には熱性痙攣の診断を加え、更に同月二三日には頸部リンパ腺腫脹の診断を加えてその治療をしてきたが、原告らから尿量の減少、無尿、血尿に関する訴えもなく尿所見は正常であったし、左眼瞼の腫脹も急性糸球体腎炎に伴う浮腫とは異なっていた。それに嘔吐もなく(初診時に咳のため、二日目に熱性痙攣のとき嘔吐しただけである。)、高熱も次第に微熱となり富雄の症状は快方に向っていたもので、五月二六日の診療時には注射を嫌がり診療室内を逃げまわるほど元気であった。右診療経過に照らすと、五月二一日から二六日までの間、被告は、急性糸球体腎炎或いはそれによる尿毒症の臨床所見を得ていなかったのであるから、被告が急性糸球体腎炎発見のための尿検査等をしなかったとしても、その診療行為には何らの債務不履行もなく、その責任を問われる筋合はない。
3 原告の主張によると、富雄は松田医師から急性腎臓炎と診断され、その一時間後に急性腎臓炎(急性糸球体腎炎)による急性痙攣性尿毒症により死亡したというのであるが、仮に原告主張どおりとすれば、急性腎臓炎の発症は五月二七日になってからであると解さざるを得ない。しかし、松田医師の診療録を検討してみても急性腎臓炎(急性糸球体腎炎)が発症していたとは認め難いのである。即ち、急性糸球体腎炎は主として小児期の腎疾患であるが、三歳までは稀で四歳から一二歳までに発症する例が多い(富雄は二歳八か月であった。)。しかし、一般に幼小児の急性糸球体腎炎の予後は尿毒症による死亡の報告例は殆んど認められない。急性糸球体腎炎の発生原因は、多くは溶連菌A群一二型(稀に四型、二五型が証明される。)による抗原体反応の表現とみられ腎組織(なかでも糸球体血管基底膜)成分が溶連菌と結びつき、原組織に対する抗原性を保持しているので自己抗体の産生を誘い、腎にアレルギー性病変を起すものと考えられている。そして、先行疾患として上気道感染症が症例の半数以上を占め、感染後一ないし三週間して発病することが多く、富雄のような扁桃炎では九〇パーセントの症例に溶連菌が証明されるが、すべての溶連菌株が起腎炎性を有するわけではなく、他に何らかの重要因子または腎障害を起す機序の特異性の存在なども考えられており、その点についてはなお明らかではない。
急性糸球体腎炎の症状としては、発熱、浮腫(眼瞼周囲に最も著明で浮腫様顔貌を呈し、多くの症例では全身に発現する。)、尿の異常((イ)血尿、約半数の症例に肉眼的血尿がみられる。(ロ)尿蛋白、(ハ)円柱及び白血球、尿沈渣により赤血球、顆粒状、硝子様、上皮細胞の各円柱を認め、また白血球数が増加する。(ニ)尿量の減少(減尿、乏尿)が浮腫発現よりも五日位前から発現するが完全な血尿となることは極めて稀である。)、高血圧(通常病初期の四、五日間持続し、その後徐々に下降して一週間位で正常に戻る。急性糸球体腎炎における高血圧の発現機序は明らかではないが、循環血液量の増大、細胞外液量の増加、腎よりの昇圧物質の遊出による全身性血管攣縮などが関係していると考えられている。なお、血圧亢進が急激で著明な場合には高血圧性脳症、急性心不全を起す可能性がある。)、循環器症状(多呼吸、呼吸困難等)などが認められ、死の転帰をもたらす危険症として高血圧性脳症、急性心不全、急性腎不全がある。高血圧性脳症では、幼小児の場合最高血圧一四〇、最低血圧九〇以上の高血圧が認められ、高度の浮腫のため脳圧が亢進して生命を脅かすことになるのであるが、松田医師の診療録では、最高血圧九八最低血圧測定不能となっていて高血圧が否定されており、特に脳圧亢進に必発する重要な病的反応である頭部硬直とケルニッヒ氏症候がないとはっきり否定されている。また、急性心不全では、浮腫は外面上にとどまらず内臓にも波及し、呼吸困難、チアノーゼ、呼吸音にラッセル音を聴取し、腹部に肝肥大、腹水等を認めるが、松田医師の診療録では顔面に浮腫状腫脹があるとの所見が記載されているだけで、胸部には聴打診上異常がなく、腹部も軟にして抵抗、腫瘤がないと記載されていて異常がはっきり否定されている。更に、無尿または極度の乏尿が四日以上続くと急性腎不全を起し危険となるが、富雄の診療経過にはそのような尿所見は認められていない。それに、ヘマコンビスティクスの尿検査による尿蛋白の結果(熱性蛋白が出ても当然である。)のみでは急性腎臓炎が発症したことのきめ手とはなりえず、その確診に必要な尿沈渣が行われていないのである。
松田医師の初診時診断名「急性上気道炎並びに急性腎臓炎」と死亡時診断名「急性痙攣性尿毒症」を前提とすれば、富雄は松田医師の初診時から一時間後に尿毒症により急死したことになるが、若しそうであるならば、松田医師の初診時において、急性糸球体腎炎の危険症の症状(松田医師の診療録等からこれら症状の発現が否定されていることは前記主張のとおりである。)やその末期症状である尿毒症の乏尿、痙攣、中毒性大呼吸等の一見して重篤な症状が発現し(その場合検尿のための採尿などできる筈はない。)、医師であればそれらの症状は必ず診断がつく筈である。その場合には、医師として富雄をそのまま帰宅させ安静を指示するだけで済ませることはしないであろうし、直ちに適切な治療を行えば十分に救命でき、時には応急措置をとり大病院に緊急移送するのが医師としてとるべき措置である。従って、松田医師の初診時に富雄が急性腎炎に罹患していたとの事実は認められないし、富雄の死因を急性腎臓炎に続発した尿毒症であると診断することは許されない。
4 富雄の死因は薬物ショック死である。即ち、松田医師の診療録には五月二七日午前一〇時四〇分頃富雄に対しネオフィリンMを皮下注射し、同一一時四五分急に痙攣発作を起したので顔に水をかけたが反応がなかったと記載されているが、ネオフィリン注射は心筋の酸素の消費量をたかめるため、結果として心臓負担を加重して心不全をきたすものとされ、腎浮腫、中枢呼吸障害等には不適応とされており、このことから、富雄の死因はネオフィリン注射に基因する心筋炎と急性心機能不全(いわゆる心臓麻痺)による突然死と考えられる。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因一の1、2の事実(当事者の地位)及び昭和四八年五月二一日、被告が原告らの依頼に基づき富雄(当時二歳八か月)を診察して急性気管支炎、腺窩性アンギーナと診断し、同日から同月二六日まで(二四日を除く。)抗生物質、解熱剤、鎮咳剤等を投薬(注射等)して治療したこと、富雄は同月二七日被告医院が休診日であったため松田医師の診療を受けた後自宅で安静にしていたが、同日急死したことは当事者間に争いがない。
被告は、本件診療は国民健康保険法に基づく公法上の保険給付であるから原告らと被告との間に直接の私法上の契約関係は成立しない旨主張するが、国民健康保険法による保険診療においても、被保険者は各診療機関を自由に選択することができるほか診療を受けた際に医療費の一部を自己負担する等の関係にあるのであるから、国民健康保険法に基づく公法上の法律関係とは別個に、被保険者と診療機関との間に直接の私法上の診療契約(準委任契約)が成立するものと解するのが相当である。
そうすると、原告らと被告との間に、富雄の病状について適切な診療行為を施すことを目的とする診療契約(準委任契約)が成立したものというべきであるから、被告は、診療契約が成立したことにより善良な管理者の注意をもって、医師としての専門的知識、経験を基礎とし、その当時の一般的な医療水準に照らし、富雄の症状を的確に把握し、時には臨床検査等を行って的確な診断を下し、その症状に対応する適切な治療行為をなすべき債務を負担したこととなる。
二 原告らは、富雄の死因は、急性糸球体腎炎による急性痙攣性尿毒症であり、被告は富雄の病状について腺窩性アンギーナと診断したのであるから、腺窩性アンギーナを先行感染として続発する急性糸球体腎炎の発症を予知し、しかも、富雄の眼瞼周辺部に浮腫が発現し増強して左目が見えなくなったほか、頭痛、手足の痺れ等急性糸球体腎炎の主症状が発現したのであるから尿検査をしてその発症を確診し早急に治療を行うべきであったのに、腺窩性アンギーナの症状、浮腫の発現等を軽視して尿検査をしない等善良な管理者の注意を怠ったため急性糸球体腎炎の早期発見ができず、富雄をして急性痙攣性尿毒症で死亡するに至らしめたと主張する。
1 そこで、まず、被告及び松田医師の富雄に対する診療経過について考察する。
《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 昭和四八年五月二一日原告スミ子は、富雄(二歳八か月)が朝から発熱し咳をするので被告に富雄の診療を依頼し、富雄の発熱、咳、嘔吐、食欲不振等の症状を訴えた。被告が診察した結果、体温三九度二分、顔色がすぐれず、咽頭が発赤しかなりの腫脹と白斑が認められ、咳嗽、咳嗽時に嘔吐があり、胸部ラッセル音(+)、呼吸音粗、心音正、食思不振、麻疹(-)、水痘(-)、浮腫(-)等の現症を認めたので、右症状から急性気管支炎(感冒の強い程度のもの)、腺窩性アンギーナ(発熱、化膿を伴った重い扁桃腺炎)、嘔吐発作と診断した。被告は、発熱、嘔吐の症状から熱性蛋白の検査を必要と判断し検尿しようとしたが、富雄が採尿を嫌がったため検尿ができなかったのでカネンドマイシン、プリンペラン、二五%メチロンを注射し、内服でフエナセチン、アミノピリン、ゴデイン散、坐薬でバリオメールを投薬した。
同月二二日午前二時頃、被告は原告らから富雄が高熱、嘔吐、震え、ひきつけ等の症状を起している旨の電話を受けて往診した結果、体温三九度、悪寒、咳嗽、嘔吐(胆汁様)、呼吸数増加、脈搏一二〇等の症状の所見を得たので熱性痙攣と診断し、安静を指示するとともに、カネンドマイシン、ビタカンファー、プリンペラン、二五%メチロンを注射し、坐薬でバリオメールを投薬した。
同月二三日午前、被告が富雄を診察した結果、体温三九度―三八度、便秘、食欲不振等の症状が認められたほか、腺窩性アンギーナのため左頸部のリンパ腺が腫脹し圧痛があった。そこで、被告はリンパ腺が化膿しないように消炎治療に努めることにし、場合によっては化膿を心配して入院措置も考慮することにし、浣腸を施したほかカネンドマイシン、二五%メチロンを注射し、坐薬でバリオメールを投薬した。
同月二四日、原告らは、富雄が熱もなく咳もやんだため、被告の診療を受けなかった。
同月二五日午前九時三〇分頃、被告が富雄を診察した結果、体温三八度五分―三七度五分、左頸部リンパ腺の腫脹がやや軽減したが、なお圧痛があった。被告は富雄の顔色が青白いので貧血を疑い一応ザーリーと血球計算を考慮したがその処置はせず、カネンドマイシン、二五%メチロン、ビタカンファーを注射し、坐薬でバリオメールを投薬した。
同日午後五時頃、被告が富雄を診察した結果、体温三七度九分で発熱が去らず、顔色もすぐれなかったが、心音に特記なく、また、急性腎炎等を疑ったが顔、手足に浮腫の発現は認められなかった。被告は、同月二三日考慮した入院措置もその必要性がうすれたものと判断し、カネンドマイシン、二五%メチロン、ビタカンファーを注射し、坐薬でフエナセチン、アミノピリンを投薬した。
なお、同日夜、富雄の祖父訴外鈴木若太郎を往診した際、被告は富雄の祖母から富雄の病状は良好でおにぎりを食べた旨の報告を受けた。
同月二六日原告スミ子は、富雄の左眼瞼の周囲に腫脹が発現したことに気づいた。同日午後二時頃、被告が富雄を診察した結果、体温三七度、呼吸正常でチアノーゼがなく、胸部も正常音で、腹部を触診するも腹水、肝肥大、腎の腫れ等の異常は認められず、扁桃腺の白斑が消失し左頸部リンパ腺の腫脹も軽減して圧痛もなかったのでやや快方に向ったものと判断した。被告は富雄の左眼瞼の縁に腫脹を認めた(右眼瞼には腫脹は認められなかった)が、眼瞼の縁が少し赤味を帯びて少し腫れた程度のものであったので手でこすったための腫れと診断した。なお、顔全体に腫れもなく、触診上胸部、腹部、下腿等に浮腫は認められなかった。検尿のため採尿を指示したが、外来で排尿がなく尿検査はできなかった。そこで、被告は富雄の膝を器具で叩くなどして反射の異常を調べた(異常はなかった)うえ、カネンドマイシン、二五%メチロン、ビタカンファーを注射し、坐薬でバリオメールを投薬した。
なお、被告は原告ら家族に対し富雄の尿量の変化や血尿の有無等について問診していないが、原告らから尿異常についての訴がないことから尿所見に別段異常がないものと判断していた。
(二) 同月二七日(日曜日)、午前九時頃、富雄は熱もないのに呼吸数が非常に増加し歩行も困難な状態であった。同日午前一〇時二〇分頃、被告が休診日であったため休日診療の当番医であった松田医師が富雄を外来で診察した。原告スミ子からの主訴は、五月二一日から発熱し、以来弛張熱が続き、某医(被告)の治療を受けているが、解熱せず、数日前から顔面が腫れぼったく食欲が全くない、昨夕から不安興奮状にて頭を痛がるようで、尿量も少なく、元気がなくなったということであった。現症として、体温三六度七分、栄養不良、顔面が蒼白で顔全体に浮腫状腫脹(特に眼瞼全体が腫れあがっていた。)があり、眼結膜はやや貧血気味、黄胆はなく、また、咽頭部が発赤し、胸部聴打診上ラッセル音がなく、肋膜に濁音もなく、心音にも雑音がなく、腹部触診上軟にして抵抗・腫瘤に触れず、頭部硬直及びケルニッヒ氏症候も認められなくて、血圧も最高九八ミリ水銀柱程度で最低血圧は測定不能であった。
松田医師は富雄の顔面に浮腫が認められたので直ちに尿一〇c.c.を採尿し、ヘマコンビステイクス(試験紙)による尿検査をした結果、蛋白強陽性、潜血反応(赤血球混入)陽性(+)、糖陰性(-)の反応が認められた、(しかし、少量しか採尿できなかったため尿沈渣は不可能であった。)松田医師は顔面に浮腫があり、尿蛋白が強陽性であったことから急性腎臓炎を疑い、右主訴及び現症を考え合わせ、急性上気道炎、急性腎臓炎と診断し、明朝緊急入院するようにすすめた。そして、扁桃腺炎等のグラム陽性菌による感染症に対する治療剤としてリンコシン一五〇mgを、利尿剤としてネオフィリンM〇・四mgを臀部に筋肉注射した。
同日午前一一時四五分頃松田医師は富雄宅から「富雄にアイスクリームを与えたところ、急に痙攣発作を来したので顔に水をかけたが反応がない」旨の電話連絡を受けた。その三〇分後の午後零時一五分頃富雄が再度来院したが、富雄は途中午後零時一〇分頃呼吸が停止したとの訴により診察した結果、呼吸はすでに停止しており、心音を聴取することができず、脈搏も触知することができなかったため、急性腎臓炎による急性痙攣性尿毒症(凝似尿毒症)による死亡と診断した。
以上の事実が認められる。もっとも、証人鈴木若太郎の証言中には、「富雄は、五月二一日から二、三日たってから顔がむくみはじめ、同月二五日から翌二六日にかけてむくみがひどくなり、左側の頬がふくらんで鼻と目の間が高くなっている感じで全体に目も頬もむくんでいた、それで左目がほとんど見えない位で右目もやっと開いている状態であった。同月二七日にはむくみが少なくなって目が見えるようになった。その間富雄は手の痺れや頭痛を訴えていた。」との供述部分があり、また、原告鈴木スミ子の本人尋問の結果中にも、「同月二五日の夕方から翌二六日にかけて富雄の顔面には前記証言と同様のむくみが発現し、同時に頭痛、手足の痺れを訴えた。」との供述部分があるが、《証拠省略》によれば、急性腎臓炎による顔面の浮腫は左右ほぼ等しく発現し、目を開くことができないような高度の浮腫の場合には、腹部、下肢、陰嚢等にも浮腫を認めるのが普通であるところ、富雄について腫脹が認められたのは五月二六日のことであり、しかも被告の供述によれば、その部位は左眼瞼の縁のみであり、少し赤味がかった腫れ程度のものであって腹部や下肢にも浮腫はなかったというのであるから、証人鈴木若太郎及び原告鈴木スミ子の右各供述部分が浮腫の存在、程度に関する医学的所見を内容とするものでないことを考え合わせるほかに被告医院に富雄を同伴した保護者において、富雄の自宅での症状を詳細に亘って被告に説明したことの証拠のない本件では右各供述部分はにわかに採用することができないし、他に前記認定を左右する証拠は存しない。
2 《証拠省略》によれば、小児領域では急性腎臓炎という診断名はなく、それは急性糸球体腎炎と同じ意味に用いられており、その発生機序と臨床所見等は次のとおりであることが認められる。
(一) 急性糸球体腎炎は、細菌或はウイルスなどの感染に伴い菌体やウイルスが壊れて血液中に吸収され、これが抗原となってこれに対する抗体が産生され、いわゆる抗原抗体反応が起き、両者が結合して抗原抗体複合物ができ、これが腎臓の糸球体の毛細血管基底膜に沈着して組織の炎症を起こすものと考えられている。本症は主として小児期(四歳から一二歳までで三歳以下では稀である。)の疾患で、小児腎疾患の最も普通にみられる型(予後は良好で治療率も九〇パーセント前後と極めて高く、短期間で完治する。)であり、多くはβ溶血性連鎖状球菌(溶連菌)A群一二型による扁桃腺炎、咽頭炎等の上気道感染症などの先行感染を伴い、その感染後一―三週間の潜伏期を経て発症する。
(二) 急性糸球体腎炎の主な臨床所見としては、発熱、浮腫(顔面の浮腫は左右にほぼ等しく発現し、眼瞼周囲に最も著明で浮腫様顔貌を呈し、高度になると全身に及ぶ)、血尿、蛋白尿、円柱(尿沈渣には赤血球円柱、顆粒状円柱、硝子状円柱、上皮細胞円柱等を認める。)。乏尿(浮腫発現より数日前から尿量の減少(一日当り五〇〇c.c.以下)がみられ、完全な無尿となることは極めて稀である。)高血圧(通常病初期四、五日間持続しその後徐々に下降して一週間で正常に戻る。)などを認めることができ、更に、その末期症状である急性腎不全の症状として、心不全(顔面蒼白、高度の浮腫、喘鳴、咳、急激に起こる頻脈、呼吸困難、起坐呼吸、その他他覚的所見として心肥大、第二種動脈音亢進、心雑音聴取、肺水泡音証明、腹水、肝肥大等)、高血圧性脳症(血圧亢進、痙攣、食欲不振、乏尿、頭痛、悪心、嘔吐等)、呼吸器症状(多呼吸、喘鳴、咳、血痰、呼吸困難等)などである。
3 そこで、前記認定の被告及び松田医師による富雄の死亡に至るまでの診療の経過並びに急性糸球体腎炎の一般的臨床所見を前提として、被告が本件診療時に富雄に対して適切な診断・治療行為を行っていたか否かについて検討する。
(一) 原告らは、富雄の死因について、松田医師の診断から急性腎臓炎(急性糸球体腎炎)による急性痙攣性尿毒症によるものであるとしている。
松田医師は同月二七日富雄を診察し、発熱が続いたあと数日前から顔面が腫れぼったい、尿量が少なく元気がなくなったとの主訴と顔面蒼白にて浮腫状腫脹がある、咽頭部発赤、血圧九八―、尿蛋白、潜血反応(+)等の所見から急性上気道炎、急性腎臓炎と診断したわけであるが、今村、村上両鑑定の結果によれば、一般に、小児科領域において急性腎臓炎という診断名は溶連菌感染後急性糸球体腎炎と同意に用いられるが、右急性腎臓炎の中にはびまん性糸球体腎炎、巣状糸球体腎炎、間質性腎炎等があり、これらを含めた広義の意味で用いられる場合がある。本件では富雄の腺窩性アンギーナが直ちに溶連菌感染であると断定する所見がないこと、浮腫、尿量等に関する主訴は必ずしも医学的に正確な情報ではないこと、また、顔面の浮腫の左右差や胸部、上肢、下肢等の浮腫の有無等浮腫に関する所見も明確でないこと、尿沈渣、血清学的検査、腎生検等が行われていないことなど溶連菌感染後急性糸球体腎炎の発症を推認しうるだけの資料が不足しており、従って、松田医師が診断したとおり急性腎臓炎であった可能性は否定できないものの、さればといって急性腎臓炎であった蓋然性を認めることはなおさら不可能であることが認められる。
更に、富雄の死因について考察するならば、本件では死因の確定に最も有力である剖検が行われていないため死因について確定的な判断を下すことは著しく困難である。また、本件の死因確定に関して最も重要なことは、松田医師の初診、ネオフィリンMの注射後約一時間経過して富雄の症状が突然急変し、同日午後零時一〇分頃呼吸が停止したことは前記のとおりであるが、その症状急変前後から死亡するまでの状況について家族からの情報のみで医学上必要な情報が全く欠けていることである。
ところで、急性痙攣性尿毒症という病名は小児科領域では見当らず、急性子癇性尿毒症と同意的な病名と考えた場合、松田医師が尿蛋白、潜血反応(+)、痙攣発作等死亡に至るまでの経過(家族からの情報による。)等の所見から富雄の死因を一応急性痙攣性尿毒症と診断したことはおおむね相当であったと思われる。しかしながら、次の理由により富雄の死因が急性糸球体腎炎による尿毒症によるものと明確な判断を下すことは著しく困難であると言わざるを得ない。
二歳八か月の幼児が急性糸球体腎炎で死亡することは極めて稀であるが、急性腎不全により尿毒症の症状を呈し、心不全、高血圧性脳症、呼吸障害等(急性腎不全の二次的症状)により死亡することがあり、これら二次的症状の臨床所見については前記認定のとおりであるが、このような生命の危険を直接反映する症状の発現は特に専門的知識を必要としないでも容易に診断がつくものである。
松田医師の死亡時診断を前提とする限りその初診時(富雄が死亡する一時間前)には急性腎不全の二次的症状が発現していなければならないが、松田医師の所見によれば、顔面白蒼で顔全体に浮腫状腫脹があったけれども、胸部にラッセル音を聴取せず、肋膜に濁音がなく、心音に雑音がなかったほか、腹部に浮腫、腹水、腎肥大等の異常も認められず、血圧も最高九八であり、その他呼吸障害等に関する所見が診療録に記載されていないのはこれらの点について何らの異常が認められなかったことを推測させるから、心不全、高血圧性脳症、呼吸障害等の症状は発現していなかったものと推認される。特に、本件のように、死亡一時間前に最高血圧が九八で、自発的採尿が可能な程度の利尿がある症例では、心不全、高血圧性脳症が発症する可能性は極めて低いものと考えられている。また、腎炎によって尿毒症が発症する場合には著明な血尿が認められるものであるが、本件では血尿等尿の異常について訴えがなされたこともなく、ヘマコンビステイクスによる潜血反応が陽性であったというだけでは顕著な血尿があったかどうかは不明である。従って、富雄の死因が急性糸球体腎炎による尿毒症によるものと判定することは著しく困難である。
(二) 被告が昭和四八年五月二一日富雄を診察したところ三九度二分の発熱があり、咳が激しくそのために嘔吐があり、胸部の聴診でラッセル音を聴取し、呼吸音が粗であったことから急性気管支炎と診断し、更に咽頭が発赤腫脹して白斑があり、同月二三日には左側頸部リンパ節の腫脹を認め圧痛があったことから、腺窩性アンギーナ(扁桃炎)と診断したこと、同月二二日熱性痙攣と診断しているが、三九度を越える高熱が続いて悪寒があり痙攣を併発しているので、熱性痙攣を推定するのは日常の診療では常例のことであることが認められる。
そして、治療処置として、急性気管支炎、腺窩性アンギーナ、頸部リンパ節腫脹に対して抗生物質を、高熱、咳に対して解熱・鎮咳剤をそれぞれ投薬したものである。そして、富雄については臨床検査は何も行われていないが、急性腎臓炎の発症の有無は臨床上浮腫及び肉眼上の血尿の発現が大きな手がかりとなり、浮腫、血尿等の症状を認めた場合に尿検査、尿沈渣、血液の理化学的検査等を実施して急性腎臓炎の発症を確診することになるのであるが、被告は、同月二五日一応急性腎臓炎に疑いを抱いたが、顔面、上肢、下肢等に浮腫を認めなかったばかりか、同月二六日の被告の所見によれば、熱も三七度台に下降し、左頸部リンパ節の腫脹も軽減し圧痛もなくやや快方に向ったものと判断しており、左眼瞼の縁が少し赤味を帯びて腫れていたものの右眼瞼や顔面全体に腫れはなく、触診上胸部、腹部(腹水、腎の腫れも認められなかった。)、上肢、下肢等に浮腫を認めなかった。結局、同月二一日から同月二六日までの間被告は腎・尿路系疾患を示唆する臨床所見を得ていない(従って腎毒性の強いカネンドマイシンを使用したと思われる)のであるから富雄の排尿状況について問診したり検尿を実施することがあえて必要であったとは認められず、被告の処置が急性腎臓炎に対する配慮を欠いて適切でなかったものと判定する根拠を見出すことはできない。同月二六日、被告は検尿の必要を認めながら(その根拠は証拠上明らかではない)外来のため富雄が排尿しなかったため実施していないが、高熱のある二歳八か月の幼児が診療所等で行う尿検査の際排尿しないことはよくあることであり、腎疾患の徴候が認められない以上被告が導尿してまで採尿し尿検査を行うほどの必要はないものと判断したとしてもそれは不当とは言えない。
結局、富雄の病状は腺窩性アンギーナが主症で、それに左頸部リンパ節炎と左眼瞼炎が合併したものと考えられ、腺窩性アンギーナの治療に専念することが腎炎発症の予防につながることにもなり、被告が左頸部リンパ節炎の治療を主たる目的とした処置を講じていたことはその診療経過から明らかであるから、その点についても被告の処置の誤りを認めることはできない。
4 叙上認定のとおり、被告の富雄に対する診察・診断・治療行為全般にわたり医師として善良なる管理者としての注意を欠いた行為があったことを推察させるに足りる事実は認めることができないから、富雄の診療について被告の債務不履行責任を肯認することはできないものというほかはない。
三 よって、原告らの本訴請求はその余の点について検討するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒川昂 裁判長裁判官野澤明、裁判官木下徹信はいずれも転補につき署名捺印することができない。裁判官 荒川昂)